平成7年(1995)1月17日午前5時49分。長野県のほぼ真ん中に位置する諏訪湖の北岸にある家の自分の部屋で寝ていたボクは揺れを感じて目が覚めた。こんな事は今まで一度もなかった。腕時計で時間を確認するとボクはすぐにラジオのスイッチを入れた。とてもじゃないがすぐにもう1度眠る気にはならなかったのだ。しばらくするとラジオは地震があったらしい事を告げ始めた。震源地は東海地方ではないかとの事だった。それ以上の事はわからないままボクはいつもと同じように高校に行った。授業の合間などにどこからともなく地震は関西の方で起こったらしい。被害はかなりのものらしいという事を断片的に聞いた。しかし、その時ボクはまだひどいといっても所詮は所詮だろうと思っていた。しかし、夕方家に帰ってみると、テレビからは信じられない映像が流れていた。つい2,3ヶ月前に修学旅行で訪れたばかりの場所が崩壊していたのだ。
 平成7年(1995)1月17日午前5時46分、淡路島北部の北緯34度6分、東経135度0分、深さ18kmを震源とするマグニチュード7.2の後に阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)と呼ばれる大地震が発生。神戸、洲本で震度6を記録。後日の調査で阪神地区の一部で震度7に達していたことが判明。昭和23年(1948)に起こった福井地震後の制定以来初の震度7となった。阪神高速道路神戸線の橋脚18本が破壊され、高速道路が635mに渡って横倒しになるなど、大きな被害がでた。死者・行方不明者6427人、家屋全半壊25万7890。死者の88%が圧死。そして3分の1以上が60歳以上の高齢者だった。
 ボクが感じた揺れは淡路島や神戸などを襲ったその3分後の姿だったのだ。

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