Mail from renya.com vol.012b 1998/11/21
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 Mail from renya.com(Mfrc)は、世の中の出来事に関するコラムやエッセイ、
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ットこむ)が総力を挙げてお届けする雑学メールマガジンです。

 vol.012aからの続きです。

 [03]:信州は諏訪地方探訪
 [04]:奈良を訪ねて(03:東大寺)

                                                   [(C)[email protected]]

[03]:信州は諏訪地方探訪
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 諏訪湖を中心とする諏訪地方は昔からスケートが盛んでその中でも下諏訪町
は日本のフィギアスケートや下駄スケートの発祥の地と言われています。
 諏訪湖は、海抜759メートル、周囲約16キロ、水深約7メートルの長野県のほ
ぼ中央に位置する同県最大の湖で、天竜川の源でもあります。

 かつては冬になると諏訪湖全面に厚い氷が張っていました。そこでは小型飛
行機が発着したこともあったりしました。また明治の中頃から昭和30年代まで
は諏訪湖の天然氷を切出し、東京方面に出荷するということもありました。最
盛期には1日400人の氷切りの作業員が半月の間に3500トンもの氷を切り出して
いたそうです。

 この諏訪湖厚い氷を利用して、明治以来諏訪湖ではスケートが盛んに行われ
て来ました。当初はスケート靴などというものがあるわけもなく、下駄にスケ
ートの刃をつけた下駄スケートと呼ばれる物が利用されました。

 諏訪大社下社秋宮の影にその名も秋宮リンクがあります。この場所にリンク
が作られたのは明治42年です。
 明治38年に中央線が開通した事により東京との交通の便がよくなり、諏訪湖
は日本のスケート界の中心となりました。しかし、諏訪湖は日によって氷の状
態が変化し滑ることが出来ない事もありました。そこで常時滑走可能なリンク
をということで水田を利用して作られたのがこのリンクです。秋宮の杜の影と
いうことで、太陽の光もなかなか当たらない為、天然のリンク作りには絶好の
場所というわけです。
 このリンクでは大正11年に国際ルールにのっとった日本ではじめてのフィギ
アスケート大会が開かれ、大正13年にははじめてのホッケー公式試合が行われ
ました。
 現在でも天然の氷によりリンクが作られ、主に小学生などが利用しています
が、諏訪湖と同じように温暖化の影響かなかなか氷が張らないという状態が続
いています。

 これからウィンタースポーツの季節を迎えます。スキーやスノーボードもい
いんですが、スケートを楽しむのもいいと思いますよ。

 諏訪湖でしかも氷といえば御神渡り(おみわたり)を思い浮かべる人も多いの
ではないでしょうか。御神渡りというのは、諏訪湖の氷が隆起してまるで神様
が渡った後のような所から名付けられました。
 この御神渡りがどうして起きるのかいくつかの仮説はありますが、科学的に
はまだ完全には証明されていません。

 暖冬の影響か諏訪湖がなかなか凍らなくなるのでその結果御神渡りもなかな
か見られなくなりました。最も最近では、昨シーズンの平成10年(1998)1月31
日の早朝に平成3年(1991)実に7年振りに御神渡りの拝観式が行われました。

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 ☆【信州(長野県)諏訪地方万物記】 ☆ (http://www.renya.com/suwa/) ☆
 諏訪の謎が解ければ日本古代史の謎が解けるとまで言われる程古くからの
信仰の地、信州の諏訪地方。謎に包まれた諏訪大社やそれに関係する御柱祭り
やお舟祭りをはじめ、諏訪湖や温泉など諏訪地方のあらゆる事を紹介します。
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[04]:奈良を訪ねて(03:東大寺)
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 奈良のシンボル的存在として奈良の大仏様と親しまれている日本最大の大仏、
それが大和国分寺であり全国の総国分寺でもある華厳宗大本山東大寺の本尊、
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。
 東大寺は天平13年(741)に全国に国分寺が建立されたとき、金鐘寺(こんしゅ
じ)を大和国分寺として金光明寺(こんこうみょうじ)と称しました。その後、
聖武天皇が大仏造顕の詔を発布し天平勝宝4年(752)に開眼供養が営まれました。
 それから、延暦8年(789)に大仏殿や講堂などの伽藍が完成。しかし、治承4
年(1180)に炎上、元暦元年(1184)に大仏が開眼されましたが永禄10年(1567)に
再び炎上し、約120年の放置の後元禄5年(1692)に大仏開眼、宝永6年(1709)に
大仏殿も落慶し現在の形が作られました。

 華厳宗というのは、審祥(しんしょう)という人が東大寺で華厳経を講じたの
が最初と言われています。その後、良弁(ろうべん)僧正(689-773)が発展させ
たといわれています。東大寺がその大本山ですが他に新薬師寺や帯解寺、文殊
院などが属しています。

 東大寺の金堂は通称大仏殿と呼ばれ、その名の通り中には大仏様が安置され
ています。高さは47.34メートル、東西の幅57メートル、南北は50.48メートル
の大きさは天平時代の創建当時と比べると東西の幅が3分の2に縮小されていま
すが、それでも世界最大の木造建造物として国宝に指定されています。
 大仏殿の中にいる国宝の毘盧遮那仏は高さ3.05メートルの56葉の蓮華座の上
に高さ14.91メートル、重さ452トンという偉容を誇っています。作られて入ら
何度となく火災にあい、その度に補修がほどこされています。右手は天正8年
(1580)、頭部は元禄3年(1690)に改鋳されています。元々は全身金ぴかだった
そうですが、火災にあう内に今のような色合いになりました。
 大仏に向かって右手奧にある柱の根本には大仏の鼻の穴と同じ大きさと言わ
れる穴が空いていて、ここをくぐると幸運に恵まれると言われています。

 大仏殿の北の松林の中に校倉造(あぜくらづくり)の正倉院は建っています。
この正倉院は絹の道(シルクロード)の終着点として聖武天皇の遺品などが納め
られていました。元々は東大の正倉でしたが、現在では宮内庁が管理していま
す。
 現在はこの校倉造の正倉院には宝物はなく、新宝庫の方で管理されています。
 この正倉院が現代まで伝わり貴重な天平文化やシルクロードゆかりの品が現
存する理由の1つはまがりなりにも天皇家が存続し続けたからと言えると思い
ます。

 大仏殿から真っ直ぐ行った先にある南大門は高さ25.5メートルの楼門(ろう
もん)で、現在のものは正治元年(1199)年に再建されたものですが、中国から
移入された大仏様式(だいぶつようしき)の代表作として国宝に指定されていま
す。楼門というのは、2階建ての門で、初層が屋根でなく縁(えん)を巡らして
いる物のことを言います。
 門の左右には高さ8.4メートルの金剛力士像が安置されています。これは、
運慶と快慶の一門が建仁3年(1203)に造立したと言われ、国宝に指定されてい
ます。

 南大門はまさに奈良公園の中にあり、周りには多くの鹿がいます。鹿せんべ
いをあげるのもいいかもしれませんね。

 大仏殿の西北、つまり大仏殿に向かって左の奧、正倉院の裏の国道369号線
に面した所にあるのが転害門(てんがいもん)です。この門は3間1戸の八脚門で、
本当に数少ない東大寺創建当時の遺構として国宝に指定されています。

 3月に行われる修二会(しゅにえ)通称「お水取り(おみずとり)」で有名なの
が、大仏殿に向かって右手の山の中腹にある二月堂です。天平勝宝4年(752)に
創建したと言われていて今の建物は寛文9年(1669)に再建されたものですが、
重要文化財に指定されています。本尊の十一面観音像は秘仏ということで、見
ることが出来ませんが、ここからの奈良の市街地の眺めは素晴らしいものがあ
ります。

 法華堂とも呼ばれるのが二月堂のすぐとなりにある三月堂です。これは元々
は東大寺の前身である金鐘寺の建物の1つとして天平18年(746)頃に建立された
東大寺最古の建物で、国宝に指定されています。旧暦の3月に法華会が開かれ
るところから法華堂とか三月堂と呼ばれるようになりました。
 堂内には日光菩薩や月光菩薩をはじめ、四天王像や金剛力士像など国宝や重
要文化財の仏像が16体安置されています。

 大仏殿に向かって左手の松林の階段を上がった上にあるのが戒壇院です。天
平勝宝6年(754)に鑑真が聖武上皇ら400人に大仏殿の前で戒を授けた翌年に孝
謙天皇の命で建立されました。今の堂は享保17年(1732)の再建です。
 堂内の四隅には国宝にしていされている天平の四天王像が安置されています。
 四天王というのは、仏教の世界観で世界の中心にあると言われている須弥山
(しゅみせん)の中腹で四方を守っているとされている仏神です。東に持国天
(じこくてん)、南に増長天(ぞうちょうてん)、西に広目天(こうもくてん)、北
に多聞天(たもくてん)がいます。また、皆が邪鬼を踏んで立っています。
 ただ、この戒壇院が火事にあったというニュースを聞いたことがあるような
気がするんですが、ちょっとわかりません。

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